もうひとつの城郭都市ファマグスタ (Destinations北キプロストルコ共和国)

東地中海に浮かぶキプロス島の北部を占める、北キプロストルコ共和国(国連加盟193ヵ国のうち192ヵ国が非承認)より、あと少しだけ(^^;

ここは、紀元前300年頃に起源をもつファマグスタ

ちなみに、現地トルコ語ではガージマーウサ

ギリシャ語では”砂に隠された”という意味を持つアモホストス上差し

このブログでは、英語名ファマグスタで統一します。

ふー。3つ全部違うとややこしいのよね(;´∀`)

別に、現地語がトルコ語なら「ガージマーウサでいいのではないの?」と思うところですが、この町が辿った歴史を考えると、喉をスムースに通るのは英語名「ファマグスタ」でした。

もともとこの町の旧市街にはトルコ系住民が、別の地区にはギリシャ系住民が住んでいたのです。

ちなみに、その頃の都市名はギリシャ語のアモホストスでした。

ところが1974年8月のトルコ軍侵攻によりギリシャ人居住区は封鎖され、約26500人のギリシャ人は南(現キプロス共和国)へ脱出したのです。

事の発端はギリシャへの併合を求めるギリシャ系のクーデターでしたが、トルコが軍事介入してしまったため、この先ややこしいことになるのです。キプロス問題は今なお解決されていません。

私が到着早々出会った、最初のタクシーの運ちゃん(記憶に残していただけている方もいらっしゃるかもしれません。リムジンタクシーの運ちゃんです)は、この26500人のうちの1人です。

まだ子供だった運ちゃんは、ある日突然「これから南に行く!逃げるんだ!」と言われて、わけもわからず家族と共に脱出したと言っていました。

当時所有していた財産は、未だに戻されていないようですショボーンショボーン

そして、その地区は未だ封鎖されたままゴーストタウンとなっています。

さて、そんな悲しい近代史を持つファマグスタですが、

ここもまたニコシアと同様城壁に囲まれた、城郭都市です。

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城壁に囲まれた旧市街にはトルコ系住民が住んでいました。

そして、地図の右下に少しだけ見える赤い部分(見えますか?)、この地区はヴァローシャ(トルコ系にとっては、マラス地区)と呼ばれ、かつてギリシャ系住民が住んでいた地区です。

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ファマグスタの城壁(ヴェネチアン・ウォール)上矢印 

門の向こうは海です。

旧市街を囲う城壁が今日も残る強固なものに整備されたのはヴェネチア時代だったことから、ヴェネチアン・ウォールと呼ばれています。

高さ15メートル(平均)を誇る強固な城壁ですびっくり

オセロ・タワー(オセロ城)から臨む、ヴェネチアン・ウォール

1570年から1571年の13ヶ月に及ぶオスマン軍の包囲、砲撃に耐えましたが、結局オスマン軍に敗れ、こののちキプロスはオスマン帝国に支配されます。

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上矢印時の総督マルコ・アントニオ・ブラガディンが住んでいたヴェネチア宮殿(現在は廃墟)

彼は、この屋敷の前で非業の死を遂げることになります・・・ゲッソリゲッソリ

続きは次回ということで

今日はこのへんで、Ciao!ウインク

むらさき音符

ファマグスタもニャンコたちが伸び伸びと暮らす、猫に優しい町でした。

この猫ちゃんたちは、カルパス半島で撮った子たちですがウインク

お手間でなかったら、この子たちをヾ(・ω・*)なでなで(クリック下矢印)しつつ、このブログを応援してくださいお願いキラキラ

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