どこの国のどんな町でも、たいてい「広場」と呼ばれる場所があります。
そして、広場では人々が自由に行き交い、時には催しものが開催されたりします。
しかし、この広場は例外のようです
赤の広場(1991年):正面に見えるは、聖ワシリー寺院
モスクワの『赤の広場』です。
ただし、これは現在の様子ではありません。
ロシアがソビエト社会主義共和国連邦(ソ連)と呼ばれていた時代の様子です。
過去のブログに書いたことがありますが、1991年8月19日ソ連の初代大統領であり最高指導者だった、ミハイル・ゴルバチョフ(1931-)の失脚、ソ連崩壊につながるクーデターが起きた日に、私はモスクワにいました。
この広場の様子は、ソ連としての最後の最後の『赤の広場』の様子といっても過言でないかもしれません。
この写真は、1991年8月4日に撮影(日付が入っているものがありました)
73000㎡(東京ドーム1.5個分)に及ぶ広い広場です。
見事に人がいないのは、時代を表していますね。
広場に人はいなくても、人々が列をなしています。
なぜか?
これらの人々はレーニン廟の参詣を待っている人達です。
クレムリンの赤褐色の壁の真ん中あたりにピラミッドのような形で見えるものがありますよね?
あれが、レーニン廟です。
ネット界からお借りしてきました。ソ連時代あれほどの列をなしていたレーニン廟ですが、現在どれほどの人が訪れるのかは不明。
当時のレーニン廟は、大巡礼地のようでした。
半日がかりでこの列に並び、レーニンを拝んだのですね。
ちなみに、これ最後尾ではありません
まだまだ続きます
入場制限が行われていました
一生に一度はレーニン廟を参拝したい!と多くの国民が思っていたのですね。
1991年8月19日、街には戦車が待機し、「ゴルバチョフ大統領は暗殺された」「戦争だ!」(ついに東西が戦争を始めてしまったのか?私は日本に帰れるのだろうか?と思いました)というデマが飛び交っていました。
当時のロシア(ソ連)は情報の開示がなかったので、何が起こっているのか、少なくとも旅行者には伝わってこなかったのです。
1818年頃の赤の広場:自由な雰囲気を感じますね
旅の難度としては、高い国だったと思います。
でも、あの時代のロシアを訪れ、ソビエトという国を規制が多いながらも自由に旅できたことは、貴重な体験でした。
大変なことが多かったのに、懐かしいと感じる国です。
今日は、このへんで、Ciao!
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北キプロスのカルパス半島に生息する野生のロバたち。
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