生まれて初めての記憶~そうだ!インドへ行こう!

しばらく前からリンパ節の腫れや頭部の神経痛が気になっていたのですが、帯状疱疹であることがわかりました。

顔の左半分がただれてしまっています。

今日から数日間は仕事をセーブし、ブログも書きたい気持ちをぐっと抑えて、過去の記事をリメイクしてお送りします。

過去の記事って、どの記事よ?

ってことになりますが、インドからいってみたいと思います。

なんてったって、この記事、投稿したのが2018年1月24日&25日で、初「いいね」をいただいたのが5月10日という記録を持っています!爆  笑

要は、だれも見ちゃいなかった爆  笑

しかも、現在に至るまでについた「いいね」は9コ( ´艸`)

9名の皆さま、ありがとうございます

ねっ、再掲載にもってこいでしょ?ウインク

そもそも、私がブログを始めたのは仕事の流れからでした。

アメブロのやり方もよくわかっていなかったので、とにかく書くだけ書いて放っておくという方式だったので、仕方ありませんガーン

しかし、その記事が今私を救ってくれるとは・・・。

1992年のインドへの旅をもとに、2003年に書いたものを2018年のアメブロに載せた・・・という代物です。

そして、2020年に再掲しようとしています。

歴史を感じるぅ~(^^;

今日は、なぜインドに行ったのか?

というところから、書いてみたいと思いますニコニコ

私は子供の頃から「生と死」についてよく考える、ちょっと変わった子供でした。

というのも、生まれて初めての記憶が「お葬式」だったのです。

私はこのときのお葬式を夢の中の出来事と思い込んでいたのですが、同じ夢を何度も見るので不思議に思っていました。

高校生になったあるとき、母と祖母にこの繰り返し見る不思議な夢のことを話したのです。

すると、彼女らが言いました。

「それは、夢ではないよ!」

なんと、現実の話だったのです。

そして、その方が亡くなった時期を特定したところ、私が14ヶ月(1歳2ヶ月)だった頃の記憶と分かったのです。

私は赤ちゃんだからと葬儀に連れて行かれ、大人達の思惑(何も覚えていないだろう)に反し、葬儀から火葬場での出来事までを記憶してしまったのです。

どこかのお婆ちゃん(親戚)に皆が花を添え、そのお婆ちゃんは骨になってしまい、大人達は骨を拾い集めている・・・

1歳の私には、現実に起こったこととして処理するには無理があり、繰り返し夢で見ることにより、少しずつショックを和らげていたのでしょう。

就学前の児童が「死」について考えるなんておかしな話かもしれませんが、私は保育園児(3歳~)だった頃からずっと考えていました。

子どもなので、考え方が幼稚です。

母に辛く当たられたりすると「私の命は、明日にはないかもしれないものなのに、なぜこんなひどいことを言うのだろう?」とか爆  笑

しかし、小学生くらいになると、

「人は死ぬ」「でも、なぜ死ぬの?」

「死んだら、どこへ行くの?ってか、どこから来たの?そもそも」

「私、死にたくない!」

「この恐怖から救われるには、どうしたらいいの?」

と考えるようになりました。

それは、中学生、高校生になっても同じで(違いは、人間はそう簡単には死なないということがわかってきた^^)、

20代のあるとき、「インドに行ったら『死』を克服できる!」という閃きを得て、インドに旅立ったのです。

1992年のことでした。

以下、2018年1月24日と25日、2回に分けて投稿した記事に写真を添えて、お送りします。

むらさき音符

「で、やっぱり人生観は変わるの?」

インドに行った、と言うと、

8割近くの人にこう問われる。

簡単には答えられない、難しい質問である。

しかし、あの地に身を置いて

何も感じない人などいるのだろうか、

とさえ私は思う。

『8月14日:一睡もできなかった。

火葬場、死体を運ぶ行列、

ガンガー(ガンジス河)に流される死の灰、

火葬されずに流され、

河に浮いていた子供の死体。

道は人、牛、車、リクシャー(人力車)、

ヤギ、犬、猿……、

でごった返している。

1つの路上に見る様々な生活様式。

カーストはまだ根強く残っている。

天と地ほどの貧富の差。

全くの別世界。

路上で寝起きする人々、

トイレ程の広さの家(小屋)に住む人々、

必死に観光客をつかまえて家計を助ける子供たち……

(中略)

死は誰にも平等に訪れる。

1つの業を終え、ガンガーへ戻される。

死は終わりではない。

きっと、始まりなのだ』

当時の旅日記から引用してみた。

私がヴァーラナシー(ベナレス)へやって来たのは、

日本を発って2週間した頃だった。

インドではどの町もが印象深かったが、

この町ほど視覚だけでなく、嗅覚に訴えた町はない。

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ごった返す人々の脂汗、

路地で売られるスパイスや野菜、南国の果物、

あらゆる食物、花、動物や人々の排泄物、

砂埃、燃え上がる死体……、

生活で発するありとあらゆる匂いがいっしょくたになって、

鼻孔をくぐり抜ける。

私はこの匂いに圧倒されながら、ガンガーを目指した。

ガンガーの西岸には、

大小80のガートが連なっている。

ガートは、岸辺から階段になって

河水に没している堤で、

沐浴場として使われている。

中には火葬場として使われているものもある。

ヴァーラナシーでは、

1日100体とも200体ともいわれる

死体が焼かれる。

ここで沐浴し、死後灰となった骨をガンガーに流せば、

すべての罪を許され、

輪廻から解脱できる、と信じられているからだ。

この町で死を待つ人々もいる。

遠くの村から親族の遺体を運んでくる人々もいる。

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つづく・・・

ピンク音符

もし、お手間でなかったら、マダガスカルでの一コマ、

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