今さらソ連!?ロシア旅「出発前から、面倒くさい!」

1991年8月19日、ソビエト社会主義共和国連邦(長っ!)初代大統領であり最高指導者であったゴルバチョフ大統領の失脚、ソ連崩壊へとつながる、クーデターが起きた、あの日私はモスクワにいました・・・。

”最後の最後の”ソビエト時代のロシアを旅した時のことを、『今更ソ連ロシア旅』シリーズにしています.

当時の旅手帳を紛失してしまったため、私の記憶とフォトアルバムに書き記した、一言ダイアリーを基に綴ります。記憶違いがあった場合はご容赦くださいお願い

1) その場で飲んでください!

2)無理言っているのは、どっち?

今日は第3弾です。

今回は、ちょっとお地味ですウインク

ピンク音符

そもそも動機が変わっていました。

ちょっと変わったところへ行ってみたいキラキラ

思えば、ソ連への旅が、私の「ちょっと変わったところを旅したい」の始まりだったかもしれません。

旅の準備から「変わって」いました上差し

それまでの私の旅といったら、航空チケットだけ日本で買い、あとはすべて現地で”調達”していました。

1980年代、当然のことながらインターネットや携帯電話などありませんでした。

ホテルは、自分の足で歩いて探すものでした。

地図の持ち合わせがないところでは、ツーリストインフォメーションで紹介してもらったり、信頼できそうな”客引き”についていくこともありました。

ところが、

旧ソビエトではそれが許されないのですガーン

あの時代、当たり前といえば当たり前だった気もしますが

なにしろ”泣く子も黙る”ソビエト社会主義共和国連邦でしたから

1 まず、旅のルートを決めます上差し

ソビエトが”開放都市”として定める約100の指定都市の中から行きたい都市を選びます。

2 そして、各都市の到着日と出発日を設定します。

3 各都市間の交通機関と宿泊ホテルも事前に決めなければなりません。

外国人が泊まれるホテルというのは限られていて(要は”高級”ホテル)、その中から選ぶという方式です。

1泊1万5千円くらいでした。

これは、1ルーブル260円で計算されてしまうためでした。

部屋の設備、サービス内容からすると、激高です!

さすが、ソビエト!という場面多々(^^;

もちろん、これは外国人プライス上差し

ロシア人は10分の1の価格で宿泊できましたポーンポーン

image

ホテル モスクワ(★★★★) 

リクエストしたホテルとは、全然違うホテルだった記憶ガーン

この写真は、恐らく鏡に映る自分の姿を自撮りしたつもりなんでしょうけれど・・・(^^;

私が眩しすぎて ←は?

光しか写ってしません爆  笑爆  笑

当時は、現像するまでどんなふうに撮れていたのか、わかりませんでしたよねウインク

それにしても・・・1991年ですよ?

なんとレトロな電話

さて、

4 ルートと交通手段、宿泊先を決めたら、ソ連旅行を扱っている専門の代理店を通して、ソビエト国営の旅行会社インツーリストに照会してもらいます上差し

5 そして、インツーリストからの回答を待ちます。

・ 希望した日に飛行機または列車の空きがなければ、相談もなく前後の日程に変更され、

・ ホテルの希望を出しても必ず叶うわけではありませんでした。

 空ききがなければ、別のホテルに割り振られるいという、完全に”殿様商売”爆  笑の旅行会社でした。

“泣く子も黙るソビエト国営”ですから仕方ないです(^^;

しかも、ただの国営ではありません上差し

国営にして、唯一の旅行会社なのです。

強気でいられるはずです

6 さらには、お金は事前にすべて支払わなければならないのに、

7 航空チケットや宿泊バウチャーは、該当日の2日前にならないと受け取れないという摩訶不思議なシステムだったのです。

私は、

1)新潟からハバロフスク、

2)ハバロフスクからイルクーツク、

3)イルクーツクからモスクワ、

4)モスクワからレニングラード(現在のサンクトペテルブルク)

までの飛行ルートと

5)レニングラードからリガ(現在のラトビア共和国の首都)

キエフ(現在のウクライナ共和国の首都)への鉄道ルートによる旅の計画を立て(※)

各交通機関を予約しましたが、それぞれのチケットを受け取れるのが前々日(以降)のため、

日本を発つ時点では、

(1)ハバロフスクまでの航空券と 

(2)ハバロフスクでのホテルのバウチャーしか持っていませんでしたびっくりびっくりガーン 

間違いなく旅できればよいですけれど・・・?このことが、後に大きなトラブルへ発展してしまうのです。

image

モスクワーレニングラード間は、元々は陸路を予定し、鉄道のチケットを所持していたものの、モスクワ滞在中に現地のインツーリストで航空券を買ったようです。

この区間のみ、USドルでチケットの代金を支払った形跡があるのです。

※この記事を書いている時点ではリガと記憶違いをしていましたが、後々に当時の記録から実はキエフだったことが判明しました。汗

ちなみに、いくらだったかというと、77USドルでした。

驚くべきは、次です!

77USドルというのは、外国人プライスです。

 

Q. ロシア人たちは、いくらでチケットを買うことができたと思いますか?

(答えは、ボーディングパス下矢印の下です)

image

なんと!7USドル(相当のルーブル)ですびっくりびっくりびっくり

11分の1!!!びっくりびっくりびっくり

やめて欲しいのは、このときにインツーリスト側のミスで航空券の日付が違っていたりすることです。

国営の旅行会社、国営の航空会社(アエロフロート)が揃って(あるいは、どちらか)間違えたのだから、その補償はソビエト側がするべきなのに、そんなことすらしてくれませんでしたムキームキー

出発前から面倒くさい、出発後はもっと面倒くさいゲロー

しかし、これまでの旅と大きく異なることに私はワクワクしていました(ヘンタイ)

つづきは、第4弾でウインク

ピンク音符

この面倒臭さが旧ソビエトを旅するということでした。

ツアーを利用すれば楽だったと思いますが、

それは私の流儀?に反します!爆  笑爆  笑ウインク

自力で歩き回りますので、応援してくださいお願いキラキラ

29年前の旅ですけど爆  笑おほほ

ということで、応援箱下矢印を設置しますウインク

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