ニコシア、城壁に囲まれた都市① (Destinationsキプロス)

キプロス共和国首都ニコシア(ギリシャ語では、レフコシア、トルコ語ではレフコシャ)からです。

ニコシアの中心部にある旧市街は、11の砦と3つの門のある城壁

でぐるりと囲われています。

画像お借りしています:https://www.unic.ac

画像の右下に、スペードの形をした壁があるのが見えますか?

11の砦の1つです上差し

こんな形をしているのですね~

この城壁は、1567年から1570年にかけて築かれました。

ヴェネツィア時代(1489‐1571)末期の頃です。

ヴェネツィアは3年という歳月をかけてこの城壁を築きましたが、完成を間近にしてオスマン帝国に攻め入られてしまいますゲッソリゲッソリ

以後300年余りオスマン帝国の時代が続きます。

ちなみに、オスマン帝国時代の後にやってくるのが、イギリス時代ですポーン

ヴェネツィア共和国時代の前はどこが支配していたかですって?

フランク王国ですポーン

※正確には、イギリスのリチャード王がキプロスを征服し、フランス系貴族、テンプル騎士団のギー・ド・リュジニャンに売却という経緯のため、フランク”人”の支配するキプロス王国が誕生。

約300年続きました。

その前?爆  笑

東ローマビザンティン帝国(ビザンティン帝国)です。

900年弱。

はいはい、

その前は、ローマ帝国(紀元前30~西暦330年)で、さらにその前はギリシャ(紀元前750~30年)です。

まだまだ遡れますが、とにかく、あっちの国、こっちの国の支配を受け続けてきた国ですニコニコ爆  笑

ざっとまとめておきますウインク下矢印

古くは、ヒッタイトや古代エジプトなどの支配を受けていますが、ここではギリシャ以降ということで・・・

・紀元前750~30年 ギリシャ

・紀元前30年~西暦330年 ローマ帝国

・330年~1191年 東ローマ帝国(ビザンティン帝国)

・1192年~1489年 フランク王国

※フランク支配によるキプロス王国

・1489年~1571年 ヴェネツィア共和国

・1571年~1878年 オスマン帝国

・1878年~1960年 イギリス

・1960年~ キプロス共和国として独立

※ 一部はイギリスの海外領土(軍事基地) 

・1963年 民族紛争勃発

・1974年 キプロス戦争勃発、国連が介入し緩衝地帯を設ける

1597年(オスマン帝国時代)に描かれたニコシア下矢印

画像おかりしています:Wikipedia

国連によって設けられた緩衝地帯(通称:グリーンライン)が都市を分断する現代下矢印

画像お借りしています:www.thecypriotpuzzle.org

1つ1つの砦には名前が付けられています。

南ニコシアに5つ、北ニコシアに5つ、残りの1つは緩衝地帯にありますポーンポーン

ところで、

南ニコシアには、イギリスからの独立10年を記念して作られた自由の記念碑(The Liberty Monumnent)があります下矢印

1955年から1959年にかけて自由を勝ち取るために戦った人々を讃えると同時に、「自由を手にするためには、戦わなければならない」という次世代へのメッセージが込められた記念碑です。

牢に閉じ込められていた人たちが

次々に自由の世界へ出る様子が印象的でした。

今にも動き出しそうです。

外へ出て自由の空気を吸い込む、この女性の姿下矢印は特に印象的で、

そのときの空気を私も吸ったかのように感じました。

しかし、

この自由の記念碑を建ててから、4年後にキプロス戦争が勃発しますガーンガーン

ギリシャとトルコの対立です。

イギリスから独立するときは、力を合わせたはずなのに。。ショボーンショボーン

むらさき音符

思っていたより長くなってしまいました。

今日はここまでとし、次回ニコシアの旧市街を囲む城壁と3つの門にフォーカスしてお話ししたいと思います。

むらさき音符

自由を謳歌しているといったら・・・

今日はカモメのカモメンに登場願いました爆  笑

青空を自由に飛ぶカモメン、うらやましいなぁルンルン

もし、お手間でなかったら

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