ニコシア、城壁に囲まれた都市➁ (Destinationsキプロス)

引き続き、キプロスの首都ニコシア(ギリシャ語ではレフコシア、トルコ語ではレフコシャです)からです。

今回は、あえてキプロス共和国とせず、キプロスとしました。

南ニコシア(キプロス共和国)、北ニコシア(北キプロス)、両方の情報を含むからです(*^^*)

昨日の記事では、

 キプロスの首都ニコシアが11の砦と3つの門を有する城壁に囲まれた都市であること、

 キプロスは多くの国に支配され続けてきた国であること

 ついに、キプロス共和国として1最後の支配国イギリスから独立したこと

をご紹介しましたニコニコ

(初めての方は→ニコシア、城壁に囲まれた都市①)

今日は、この興味深い要塞都市の城壁3つの城門をご紹介したいと思いますニコニコ

画像おかりしました:Lonely Planet

1567年から1570年にかけて造られた、星型要塞(あるいは雪の結晶型snowflake shape要塞 )は、当時支配していたヴェネツィア共和国にちなんで、Venetian Wallsと呼ばれています。

城壁には、11の砦と3つの門があり、すべての砦とすべての門に名前がつけられています。

この塀の先に、見えるのは北ニコシア側にある、ギルネ門(ギリシャ語では、キレニア門)です。

ギルネ門を外側から見ると・・・下矢印

アタテュルクさん(※)がデデーンと立っていました。

トルコ共和国建国の父と言われる、ムスタファ・ケマル・アタテュルク(1881-1938) 

スルタン制を廃止し、共和国を樹立しました。

アタテュルクは、「父なるトルコ人」という意味です。

完全にトルコですね、ここはポーンポーンポーン

反対側(旧市街側)へ回ってみました。

ギルネ門は、門としての機能ははたしておらず、今は観光案内所となっています。

さて、この門はギルネ門と呼ばれますが、

なぜギルネ門なのか?

それは、ギルネ(キレニア)の方角にある門だからです上差し

ギルネ(キレニア)を水色の〇で囲ってみました下矢印

北ニコシアの北側(12時の方位)に位置しています下矢印

ちなみに、ギルネ門に続く道をギルネ通りと言いますが、この通りは、南ニコシアではレドラ通りと呼ばれます。

あの検問所があった通りです!!

検問所のことを覚えていてくださる方、いらっしゃいますか?

(→国境越え:レドラ通りの検問所

今は観光案内所となっているギルネ門で、私は旅の情報を仕入れ(地図や冊子が充実していて、どれも無料でもらえます!)、北キプロスをどう回るか計画しました。

って、すでに、ここ、北キプロスですけれどね(^^;

さて、要塞都市ニコシアを囲う城壁と3つの城門、その1つが北ニコシアにある、ギルネ門でした。

残り2つの城門のうち、パフォス門(パフォスの方角にある門)は、国連が管理する緩衝地帯(通称グリーンライン)内にありますショボーンショボーン

下の地図では、ピンクで印を入れました下矢印

ちょっと見づらいですがお願い、オレンジ色の斜線が入っている部分がグリーンラインです。この地帯は完全に閉ざされています。

3つの目の城門が、最大にして、一番立派なファマグスタ門(ギリシャ語では、アモホストス、トルコ語ではガージマーウサ)です。

南ニコシアにあります。

東側、3時の方位です。

ちなみに、ファマグスタ門は南ニコシアにありますが、

ファマグスタ(都市)は、北キプロスにあります。ややこしい~(^^;

だんだん、近づいてきましたよニコニコニコニコルンルン

ファマグスタ門は、この先(写真上の左側)にあります下矢印ランニングランニング

立派な門でしょ?

現在はコンサートや展示会を開く文化施設として使われているそうですが、閉まっていたため中には入れませんでしたショボーンショボーン

この扉は、催しものがあるときのみ開くようです下矢印

もし、扉が開いていたなら、

こんなふうになっていたようです下矢印

画像お借りしました:www.nicosia.org.cy

ファマグスタ門は、1567年に建てられました。

かつては、この3つの城門のいずれかを通らなと行き来できませんでしたが、現在は城壁のところどころが取り崩され、通行できるようになっています上差し

星型要塞都市、ニコシア、

二国の首都である、ニコシア、

興味深い町でした。

ピンク音符

もし、お手間でなかったら、

北キプロスで出会ったロバくん下矢印の耳を触って(クリック下矢印)、このブログを応援してくださいニコニコお願いキラキラ

にほんブログ村 旅行ブログ 女性世界一周へ

1クリック応援ありがとうございます♥
にほんブログ村

今日も最後までおつきあいくださり、

ありがとうございました♥