モンゴルの首都ウランバートルです。
ボグドハーン宮殿博物館を後にし、次に向かったのは・・・

ザイサン・トルゴイという日本人的(私だけかも?)には”財産”をイメージしてしまう名前のモニュメントです。

ザイサン・トルゴイはウランバートルでも人気の観光スポットですが、私としては寺院博物館や民族博物館を訪ねたいと思っていました。
しかし、ジモピーのソータは「モニュメントへは行っておくべき!」などと言います。
「そう?それなら、行く!」
こういうときは、ジモピーの言うことを聞いておこうと思う私です![]()
なぜ、あまり興味がなかったかというと・・
ザイサン・トルゴイは1971年にロシア(当時はソビエト連邦・以下ソビエト連邦とします)によって建てられた戦勝記念碑だからです。
『地球の歩き方』によると、
「(モニュメントの)丘の入り口には『ソ連戦士の記憶は、空の太陽のように永遠であり、大地の燃える火のように神聖である』と記されている」
『ロンリー・プラネット』によると、
「ソビエトによって建てられた、数々の戦争で戦死した兵士や英雄を称える記念碑」と記されています。
私は、この手のものには、あまり興味がありません。
モンゴルの人がモンゴル兵の慰霊のために建てた記念碑なら別です。
しかも、このモニュメントにたどり着くには、612段もの階段を上らねばならないのです![]()
![]()
どうしても行きたい寺院のために上る612段と興味のないモニュメントを見るための612段は違いますよね??
それでも、行くと決めたからには、行きます!
戦争の記念碑と思わず、展望台と思って行けばよいのです。
市内を360度見渡すことができることは事実なので、ウランバートル市街を眺めるのには良いかもしれません!
というわけで・・・えっちら、ほっちら、上りました!!
※ドライバーさんが途中まで車で上がってくれたのかな?612段もあったとは思えなかったです。大変だったことは違いなかったですが(^^;

確かに見晴らしは良いです!![]()
ウランバートルの街並みがよく見渡せます![]()
中心部はここから3キロほど北です。

ソータは言います。
「ここ10年~15年でウランバートルは大きく変わってしまったのよね。10年くらい前までは、草原が広がっていてゲルもあちこちにあったのよ。
今は、次々に大きな建物が建って、ずいぶん変わってしまったの。
ほら、あれはホテルを建設中でこっちのは・・・」
ここ10~15年の建設ラッシュでいわゆる新興住宅地が増え、多くの人々はゲル生活からマンション生活へとライフスタイルを変えたことが伺われます。
市街地と反対方向は、まだ緑が残っています![]()
壁画の下からのぞく風景に注目してください

モニュメントの”輪”(高さ3m全周60m)の外側には、ソ連とモンゴルの勲章の浮彫があり、内側にはモザイクの壁画があります。
「モンゴルとソビエトの友好、相互援助をイメージした」という解説が「地球の歩き方」には載っていましたが、戦争を通しての両国の絆をソ連側から描いたように感じてしまう私でした![]()

負傷しているのは、ソビエト連邦の兵士っぽいし
「1921年にモンゴル人民共和国(~1992)として中国から独立できたのは我々ソ連のおかげです。
1939年満州国とモンゴル人民共和国の国境線を巡っての紛争(ノモンハン事件)を解決したのもソ連です」
と言っているように感じてしまいました。

踏みにじられた旭日旗のモザイク画
の右隣りは、ナチスの旗が折られた壁画です![]()

最後は、「両国には平和が訪れました」みたいなイメージで結ばれています。

ん~。
ソビエトが建てた戦勝記念碑だけに、なんかしっくりきません。
モンゴルの人たちが建てた記念碑なら、少なくとも旭日旗が踏みにじられている壁画の前では、日本人として謝罪の念を抱いたと思いますが。。。
でもでも、素晴らしい見晴しだったことは間違いありません![]()
勉強にもなって、良かったです。
ウランバートルのザイサン・トルゴイからのレポートでした![]()

こんな景色が懐かしいです![]()
遊牧民の生活と都会の生活は全く異なります。
風景もこんなにも、違うのですね。
こちらは、羊だらけ( ´艸`)、ビルは皆無でした。
お手間でなかったら、上の朝焼けに包まれて眠る羊たちに触れて(クリック)、このブログを応援してください![]()
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今日もおつきあいいただき、ありがとうございました♥

