トリニティ・カレッジの正門から西へ真っ直ぐ進むと左手にお城が見えてきます
ダブリン城です

このお城は、1204年にバイキングの要塞があった場所に建てられ、1922年にアイルランドに譲渡されるまで700年もの間イギリス支配の象徴でした。
この700という数字覚えておいてくださいね
あとで、おもしろいお話があります 本当か?

レコード・タワーとチャペル・ロイヤル(左)
※度重なる火災により、当時の建物として現存するのはこのレコードタワ・タワーのみです
おっと、
なんと、閉館間近だそうです
諦めるべきか・・・
ちょっとだけでも見たい(ですよね
)
・
・
走るようにして、少し覗いてきました
中を見たい!と急いでいたため、外観の画像が残っておらず・・・
未来にブログを書くなんて思ってもみなかったし
これだけではお城だか何だかわかりづらいと思うので・・

Wikiさんから画像をお借りしてきました。ジャーン

晴れてていいなぁ・・
なんとも地味なお城(失礼)ですが、中はお城らしかったです

こんなお部屋がいくつもあり、シンプルながら豪華でした
ここは、St.Patrick’sHall(聖パトリック・ホール)と呼ばれるホールで、公式晩餐会や大統領就任式など、国の重要な式典の際使用されます

う、これはやばいです。
この時間のないときに・・・大変なことになりました
天井を見てください

素敵ではないですか
見とれている場合ではないのに、見入ってます
壁のあちこちには、こんなものも・・・ ステキ

時間のあるときに来ないとダメですね
「追い出され作戦」中だったため、「王冠の部屋」と呼ばれる部屋で撮った唯一の写真が・・・

天井のシャンデリア
外のお庭を眺めてみました

芝生のデザインにアイルランドらしさを感じます
この庭に黒い水たまりがあったのだそうです。
そして、バイキングの言葉で「黒い水たまり」のことを「Dubh linn」といいこの町がDublin(ダブリン)と名付けられるにいたりました
そんな由来だったんだ~!
ところで、こんな逸話があります。
最初に覚えておいてくださいねとお伝えした数字を覚えている方、挙手をお願いします



皆さん、優秀ですね
ダブリン城は1922年にイギリスからアイルランドに譲渡されましたが、その式典に、独立を指揮した政治・軍事指導者、マイケル・コリンズが7分遅刻したのだそうです。
その遅刻を総督が避難すると、マイケルは「我々は、このときを700年待った。7分がどれほどのものというのだ」と言い返したとか。
どこまで本当かわかりませんが、上手ですね

北キプロスのカルパス半島に生息する野生のロバたち。
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