遡ること13年^^
中国雲南省大理ペー族自治州です。
ペー族は、漢字で「白族」と書きます。
白色を尊ぶ民族で、かつては漢族により「白人」(あるいは、民家)と呼ばれていましたが、1956年に自治州を設立する際に、「白族」と名が定められました。
数回にわけて、ペー族の村を紹介しています。
前回までのお話はこちら
4) 豚の生食 (ペー族)
5)藍染の村
7)耳の形をした湖、洱海『耳の形をした湖、洱海』遡ること13年^^ 中国雲南省大理ペー族自治州です。ペー族は、漢字で「白族」と書きます。 白色を尊ぶ民族で、かつては漢族により「白人」(あるいは、民家)と呼ば…ameblo.jp
第8号: もう1つのペー族の村、喜洲
”その場所”がなかなか見つからなくて、タクシーの運ちゃんとはすったもんだありましたが、移動中のバスの車窓から見た”美しい景色”を探し当て、大満足の私でした。
その美しい景色は、喜洲(あるいは喜洲より北)近辺から望む、耳の形をした、大きな湖「洱海」でした。
夕焼けに染まったオレンジ色の湖面とはまた違った趣がありました。
正直なところ、夕方の景色のほうが素晴らしく感じました💦
周城という「ペー族の村」と探し当てた景色を見られたので、その後は、大理に戻りながら、「見たい!」と思ったところで、車を停めてもらうことにしました
私は、「いかにも観光地」という場所に興味がなく、こうした片田舎の風景こそ美しいと感じます。
そこには、現地の人たちの日常生活があります
背後には、白壁の家屋が見えます。
ペー族の家ですね。
喜洲と思われる村。
喜洲は、このあたりでは最大と言われるペー族の村です。
このあたりが「南詔国」と呼ばれた時代(南詔国:737-902、中国では唐の時代)は軍事の要地でした。
インドと中国を結ぶ地にあるからでしょう。
その後貿易の要衝として栄えました。
明の時代、清の時代の喜洲商人はお茶の貿易を行っていたそうです。
その後、一部の商人がここから東南アジアへ移住、華僑となりました。そんなことから、ここは「華僑の故郷」と称えられています。
実は、この村には前日に立ち寄っていたようです
ペー族最大の村と言われるだけあって、その様子は「街」のように整っていました。
そんなことから、興味が薄れてしまったのか、写真がほとんど残っていません
見どころとなる家屋が多数点在していたようですが、当時の私はブログを書く未来など予想していなくて、興味がわかないものをわざわざカメラに収めたりしなかったのです
今となっては、ちょっぴり後悔
もともと少数民族の暮らしに興味があるものの、中国文化にはそれほど興味がなく、中国っぽい雰囲気に「ふーん」で終わってしまったのです
こういうのとか
次回へつづく・・・
というほど、各ストーリーに繋がりはありません
最後は、モンゴルからの思い出の1枚で〆ます。
どしゃ降りが見事に晴れ上がり、馬の背中で喜ぶ超ご機嫌な私と超不機嫌なお馬さん
馬子(うまこ)「今日はこいつを乗せなくて良いと思ってたのに。チェッ」
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