アンデス聖地博物館より昨日の続きです。
あぁ、あの話は苦手だわ、という方はさり気なくスルーしちゃってくださいね
アンデス聖地博物館のある、アレキパはこんなところ(前号までをインデックス化しました)
4)【閲覧注意?】アレキパ名物:クイ・チャクタードとロコト・レジェノ
9) 氷の美少女アイスメイデン「フアニータとラドンセーヤ」①『氷の美少女アイスメイデン「フアニータとラドンセーヤ」① (ペルー・アレキパ)』さて、そろそろ、その女の子のことを書きましょう。アレキパで会った女の子のことです。2回に分けます!(思ったより長くなってしまい、編集が間に合いませんでした(-…ameblo.jp
第10号:
氷の美少女アイスメイデン「フアニータとラドンセーヤ」②
フアニータのことは、もちろんとても強く印象に残っていますが、私にはもう1人記憶から離れない少女がいます。
アンデス聖地博物館を訪ねた時に、一緒に公開(安置)されていたと思い込んでいたのですが、今回ブログを書くにあたり調べたところ、その少女はアルゼンチンの考古学博物館に眠っているそうで、首をかしげているところです。
☑ 私が訪れた期間は、たまたまアルゼンチンからやってきていた
または
☑ レプリカだった
あるいは、
☑ パネル展示だったのに、印象が強すぎてリアルと思い込んだ
上の3つのうちのいずれかでしょう。
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フアニータと違って、その少女には名前がついていません。
そのため、他の氷で凍結した少女たちと同様、アイスメイデン(Ice Maiden=氷の少女)、もしくはラ・ドンセーヤ(La Doncella=乙女)と呼ばれています。
フアニータの発見より4年遅い、1999年に発見されました。
そして、フアニータのときと同様、タイム誌によって、その年の「世界の発見トップ10」の1つに選ばれました。
彼女の保存状態の良さはフアニータを凌ぐもので、500年もの時を経てここにいるとは思えませんでした。
(私が見たものは、レプリカかパネルの可能性がありますが(^^;
いや、運よく巡回展示を見られたのかも!)
その少女(以降ラドンセーヤとします)が眠っていたのは、アルゼンチンとチリの国境に位置するユーヤイヤコ山(標高6739m)で、私の記憶が正しければインカ帝国の南端とされた場所です。
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ラドンセーヤは、13(~15)歳でした。
そして、4歳の女の子と5歳の男の子が一緒でした。この幼い子供たちは、ラドンセーヤに付き添わされたと考えられています。
ラドンセーヤは、見事なほどに髪を細かく編まれていました。
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その髪を採取し分析したところ、神に捧げられるまでの最後の1年は、それまでよりもお肉をたくさん食べていたことがわかりました。
「最期のその時」から遡ること半年は大量のコカとチチャ(紫トウモロコシから作るお酒)を摂取していたことが明らかになりました。
そして、死の直前、それらの量はさらに増えていたのです。
コカの葉
チチャ:紫トウモロコシからつくる酒
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フアニータと同様、クスコで催された生贄祭りカパコチャで執り行われた儀式を終えてから(あるいは、“選ばれて”から)、神と同一視され、行く先々で崇められたた子供たちは、ご馳走を食べる機会が増えたのでしょう。
フアニータは村々を訪れながらアンパト山へ向かいましたが、ラドンセーヤはユーヤイヤコ山へ向かいました。
「その時」より遡って半年間(死の前の半年間)、コカとチチャの摂取が多いのは各村で神のように迎え入れられ、食事やお酒をふるまわれたことを裏付けていると考えられます。
あるいは、コカの葉は落ち着かない心を鎮静するためだったり、高山対策のためだったのかもしれません。
ラドンセーヤは幼い子2人と比べて、死の直前のアルコールの摂取が際立って多かったそうです。
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このことから、何が起こるのか理解していて、悲しみから手っ取り早く癒されるために、多量に飲むようになったのではないかと考えられています。
当時、インカでは、神に召す子として選ばれることは名誉であり、その子は永遠に生きると信じられていたそうです。
親によっては、自分の子を喜んで差し出したとされています。
一方、選ばれる少女は処女でなくてはならなかったことから、娘が純潔を守らないことを咎めない親たちも多数いたとか。
「自分は死ぬ」とわかっていて、そこへ向かう1600キロ(←ラドンセーヤの場合)もの道のり(しかも、かなりの高所)を歩き抜く精神力をもちあわせていた、13歳前後の女の子たち。
ラドンセーヤはこの穴の中で眠っていました
ラドンセーヤは眠るように安らかな表情をしているけれど、こんなことが毎年行われていたインカ帝国。
資料を読めば読むほどに、相当数の幼い子供たちが捧げものとされたことがわかり、胸が締め付けられました。
人々は本当に幼い少女たちの命を捧げなければ、平和を維持できないと思っていたのでしょうか。
あるいは、インカ王が戦争に勝つように、
インカ王が健康であるために、
インカ王が・・・
そんな理由で、子供たちを殺していたなんて、理解に苦しみます。
怖いなぁ
私は、フアニータをはじめとする当時生贄とされた子供たちに
「楽になって」
「もう苦しまなくて良いんだよ。安心して眠って」
と時空を超えて、祈ることしかできませんでした。
アンデス聖地博物館:撮影禁止だったため、残っているのは博物館の入り口近辺の写真のみ(^^;
2分49秒という短い時間の中で、当時の再現映像を含めコンパクトにまとめられています ナレーターのインディアン・アクセントきつめです。
https://youtube.com/watch?v=Xj5Whe2USis%3Fenablejsapi%3D1%26origin%3Dhttps%253A%252F%252Fameblo.jpそして、昨日ご紹介した歌は、ネパールの子守歌ということがわかりました
https://youtube.com/watch?v=diY3IUm-FMI%3Fenablejsapi%3D1%26origin%3Dhttps%253A%252F%252Fameblo.jp何度も聴いてしまいました
「再生回数5回」になっていますが、全部私です
いや、10回くらい聴いたけど。タイムラグかな
以上2日間にわたってのアンデス聖地博物館「氷の美少女アイスメイデン」たちのご紹介でした。
では、では、今日はこのへんで
Ciao!
インカ帝国を起こした民族、ケチュア族の女の子と
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