まだ帯状疱疹に悩まされていますが、今日は「今さらソ連ロシア旅」いってみます
ブログはもうしばらく、あっさり&ゆるりでいきます。
1991年8月19日、ソビエト社会主義共和国連邦(長っ!)初代大統領であり最高指導者であったゴルバチョフ大統領の失脚、ソ連崩壊へとつながる、クーデターが起きた、あの日私はモスクワにいました・・・。
”最後の最後の”ソビエト時代のロシアを旅した時のことを、『今更ソ連ロシア旅』シリーズにしています。
当時の旅手帳を紛失してしまったため、私の記憶とフォトアルバムに書き記した、一言ダイアリーを基に綴ります。記憶違いがあった場合はご容赦ください![]()
3) 出発前から面倒くさい
4) 出発から面倒くさい2
今日は第5弾です。
いよいよ、最初の目的地ハバロフスクに着きました!

昔むかしルーブルと言ったら、高額通貨でした。
1ルーブル=260円
ドルやポンドよりずっと高かったのです。
私が旅した1991年8月には、すでにこのレートは10分の1に切り下げられていましたが(10分の1ですよ!![]()
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)、
航空券やホテルの宿泊費など日本からインツーリスト(国営にして唯一の旅行会社)を通して支払うものは、公定レート(旧レート =1R = 260円)で計算されていました。

上から、5R、10R、25R。
ゴルバチョフ大統領の政策により、1991年1月より50Rと100Rが無効となり、私が旅した8月時点では写真の25Rが最高額の紙幣でした。
ということは・・・!!
ビザの申請のために必要な、訪問都市間を結ぶ空の便と陸の便(列車)とホテルの宿泊費以外は、現地で調達するのが得策ということになります![]()
インツーリストでは、空港からホテルまでのトランスファーや通訳ガイド、タクシー、イベントの入場券を申し込むことができますが、インツーリストを通せば通すほどお金がなくなります。
そんなの、イヤだ!!
ということで、ホテル宿泊のバウチャーのみ持ってやってきましたソビエト社会主義共和国連邦(長っ)、最初の訪問都市ハバロフスク。

当時ハバロフスクで外国人が宿泊できたのは、ホテル・インツーリストのみ![]()
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このホテル1泊2万円くらいだったと思います![]()
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サービス内容を考えると激高でした![]()
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空港を出たら、まずタクシーをつかまえなくてはなりません。
しかし、これが簡単なことではなかったのです![]()
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まず、空港の両替所は「時間外だから両替できません!」と断られ(どれだけ短い両替時間なのっ!!国際線の到着時のみ窓口が開くと聞いてはいましたが・・・。私、今、到着したばかりですよ!!)、
当時ルーブルはソビエト国外では両替できないものとなっていたため(ちなみに、国外からの持ち込みも禁じられていました)、
手持ちルーブル0(ゼロ)です。
ルーブルがないことには、市街に出られません![]()
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そこへやってきたのが、インツーリストの係員。
「20USドルでホテルへ行けます」
たぶん、両替できなかった外国人たちに声をかける仕組みになっていたのだと思います。
いや、最初から両替所は閉ざされていて、20USドル獲得するのが狙いだったのかもしれません。
当時は”外貨獲得政策”(正式名称は忘れました)というものがあって、それに則った仕組みだったのかもしれませんが、
はぁ?20ドルも?
空港からバスを使えば、恐らく、かかって数十円、たぶん数円のはずなのに・・・??
移動できないことには仕方ないので、20ドルで行きましたよ![]()
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10分くらいの距離を・・・![]()
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しかし、ここで1つ悟りました!なるほどー!!!
インツーリストは、空港と市街のトランスファーを国内一律16(18だったかも?)ルーブルとしていました(モスクワのみ23R/25R?)
これぞ、ザ・社会主義国!距離まったく関係なし!![]()
16(18?)ルーブル=20USドルということは・・・
ルーブルの商用レートというものです!
ロシア到着早々遭遇しました!
ややこしい話ですが、当時のロシア(ソビエト)には、両替レートが3つあったのです。
☑ 日本から現地へ支払うレートは1R=260円
☑ 現地でインツーリストなど商用として支払う場合は1R=80円
☑ 現地で両替すれば1R=24円
☑ ヤミ両替1R = ? (違法です)
どのレートで計算されるかによって、旅の総費用がものすごく違ってきます。
まさに、ロシアンルーレット( ´艸`)

最高額の25Rは、公定レートなら約6500円、商用レートなら約2000円、実勢レートなら600円となります。すごい、違い!
そして、国営にして唯一の旅行会社インツーリストは自国通貨ルーブルを受け付けないので、どちらにしても外貨で支払うことになります。
日本で、このインツーリストによるトラスファーを申し込んでいたら
16R=4,160円だったはずなので、20ドル(当時のレートで約2700円)ならまだいいほうか・・・
諦めが肝心!ヨシ!
20ドルをインツーリストに支払いました。
ホテル・インツーリストへGO!![]()
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し、しかし、腹立たしいのは、その次なのです!!
ホテルに到着してすぐに両替をお願いすると、
「できません」
の一点張りなのです。
はぁ?
確認しますけど、ここ、唯一外国人が泊まれるホテルで、
空港を除いて唯一の両替所なんですよね?![]()
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ってことは??

外貨で支払い続ける限り、かなり割高な旅になってしまうではありませんか!!!![]()
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飲食も? まさか!?
空港かホテルでしか両替できないシステムだったのに、どちらも両替できないと言い切るロシア!!もとい、ソビエト。
すべて、国営なんですよぉ!!![]()
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これ、たまりません!!!!!![]()
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結局、ハバロフスクにいる間はすべてドル払いとなり・・・![]()
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相当むかついていたのか、当時作成したアルバムにはこう書かれています。
「なんか変!どこに行っても、皆、外貨を欲しがる」
「ドル払いは不当に高いので、街を歩いて回わった」
「ここには大した観光名所なし」←言い切ってる!![]()
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残念ながら当時のことを詳しく書いた旅手帳はなくしてしまいましたが![]()
、
アルバムにまで怒りを書いたということは、相当怒っていたのだと思います。
若かったなぁ~![]()
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でも、だって・・・
当時の外貨両替は空港かホテルと決められていたのに、どちらもが拒否するのですよ。
しかも、すべて国営。
こんなのってありですか!??

ツアーを利用すれば楽だったと思いますが、
それは私の流儀?に反します!![]()
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ってことで、自力で歩きまわったソ連。
29年前のお話。
なにそれ?そんなのナシ!
と思っていただけたら、下の私のアイコンをやさしくタッチ(クリック
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それもアリと思われた方も、やさしくタッチして私の怒りを鎮めてください![]()
29年前の怒りですが(^^;
ありがとうございました♥
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今日も最後までおつきあいくださり、
ありがとうございました![]()

