顔面に帯状疱疹を発症してしまい、今週の火曜日より仕事をセーブしています。
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時間と体力的にどちらかしかないということで後者を選択しました。
今週はこれで抜け切ります!!抜け切らせてください![]()
今日は、モロッコでのハプニングの続きです!『マラケシュで出会った子供たち: 「ほかの人をカモにすれば?」』顔面に帯状疱疹を発症してしまい、今週の火曜日より仕事をセーブしています。ブログは、・新記事を書いて「いいね」と「コメント」を閉じるか、・ほとんど読まれていない…ameblo.jp
古都マラケシュのスークで後をつけ回して「お金をくれ」「ボールペンをくれ」とせがむ子供たち。
時間の経過とともに子供たちは増え、夕刻には20人を超えていました![]()
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さらに、「このままでは帰れない。稼ぎがないから叱られる」
と言い出す始末。
だから言わんこっちゃない!!![]()
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「私からは何も出てこないよ」
とあれほど言ったのに。。。

1989年、私もまだ若かったです![]()
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彼らと真剣勝負に出ます!!
本気で怒ってる![]()
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つづき・・・
気の毒に思わなくもなかったが、
ここで1人に小銭をあげたら
全員にあげなければならない。
昼は10人程度だった子供たちも、
なぜか20人を裕に越えている。
「だから言ったでしょ。
私の後を付いて回っても何も出てこないって」
すると、年長の少年がすかさず言う。
「僕らは丸1日君に付き合ったんだ。
君の行きたいところへ案内した。
だから、君は僕らにガイド料を支払うべきなんだ。
払ってくれるまで、僕たちは君を追いかける」
「あ、そう。わかった。
そういう場合はガイド料が必要なのね」
「そうだ、そうだ」の大合唱。
「私、今日1日、君たちの前を歩いてきたのよ。
ガイドだったら、ガイドらしく私の前を歩きなさいよ。
今日、君たちのガイドをしたのは、私よ」
「君は外国人だ。君にガイドができる訳がない」
と反発するリーダー。
「外国人が寄りたいお店と食べ物の嗜好がよくわかったでしょ。
早くガイド料をちょうだい!
払う気がないなら、さっさと私の前から消えて」
すると彼らは円を作り、何やら会議を始めた。
アラビア語なので、
何を言っているのかさっぱりわからないが、
もう付き合ってられないわ、と立ち上がったところ、
「ちょっと、待て」
とリーダーに引き止められた。
よく見ると、コインを差し出している。
「ガイド料を払うよ」
差し出したコインなど、受け取れるわけがない。
家に持って帰るよう説得したが、
彼らは引き下がる様子もなく、最後には
「プレゼントするよ。またマラケシュに来て」
と言い残し、方々へ散っていった。

子どもたちの”ケンカ”したのは、こんな雰囲気の広場でした。
いえ、”こんな雰囲気”ではなく、ここでした。
記憶が正しければ・・・・。

あれから、31年。
あの時の少年たちはどうしているだろうか?
”リーダー”には、もう孫がいたりして?
無きにしも非ず。
当時のマラケシュには物乞いがたくさんいました。
手足がない人達もいましたが、
特に多かったのが目がない人達でした。
目をくり抜いてしまい、物を乞う・・・
そのほうが同情を得られやすいと。
どこまで本当かはわかりませんが、
そんな現状があった時代でした。
子どもを使ってお金を集める”親”たち。
本当の親かはわかりません。
信じたくないですが、
労働力として売買されたという話も聞きました。
本当に苦しい環境で自ら物乞いをしていた子供もいたと思いますが、
子どもを学校に行かせず物乞いさせていた”親”もいたと思います。自分たちがラクをするために。
物をあげる行為は、状況を見極めないと
結果として子どもが悪い環境で暮らすことを助長する行為にも思え、現地では基本的には応じない姿勢でいました。
あのときのリーダーは、どういう事情で物乞いをしていたかわかりませんが、立派な大人になっていると思います(思いたい・・・)

マラケシュ ジャマエルフナ広場 1989年

1989年のモロッコからのお届けでした![]()
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