ここは、地中海に浮かぶ島、キプロスの北キプロス・トルコ共和国(以下北キプロス)、
北ニコシアです。
聖ソフィア大聖堂からモスクへと変貌を遂げたセミリエ・ジャーミーをご紹介しました(→聖堂からモスクへ)が、そのすぐ隣にある、ベデスタンも、元々は教会でした。

キプロスが東ローマ帝国(ビザンティン帝国)に支配されていた時代(330~1191)の6世紀頃、に小さな教会(チャペル)として建てられたのが始まりのようです。
・・・ということは、セミリエ・ジャーミー(旧聖ソフィア大聖堂)よりも、ずっと古い起源をもつということになります。
リュジニャン家統治による、フランク王国時代(1192‐1489)に、この小さな教会の上に聖ニコラ教会が建てられました。
※リーフレットの表記による。一部を取り崩したということでしょうか。
その後ヴェネツィア共和国時代(1489‐1571)に、ギリシャ正教会へと改築され、使用されました。
形は変われど、6世紀から約1000年にわたりキリスト教施設だったわけです。
ところが・・・!
1571年、オスマン帝国がヴェネツィアからキプロスを奪ったことにより、キプロスはオスマン領キプロス州となり、キリスト教徒(=島の住人)は迫害されました![]()
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2万人以上のキリスト教徒たちが殺されたとか![]()
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聖二コラ教会は、ベデスタンとして使われることになりました。

現地で入手したマップによるとThe Bedestan(St.Nicholas Church)&Museum of Cyprus Thrkish and Islamic Art(長っ!)となっていました。
The Bedestan(ベデスタン)って何??
しかも、このカッコ聖二コラ教会とか北キプロス・イスラムアート美術館って・・・。
1つの建物をよく使いまわしているわね・・・![]()
トルコを訪ねた時に聞いたことがある単語だったのかもしれませんが、まったく覚えていません!
ベデスタンって何?
ベデスタンは、
covered market(屋内のマーケット)だそうです。
オスマン帝国時代、聖二コラ教会は、ベデスタンと名を改め、繊維製品のマーケットとして利用されるようになりました。
これが後に食品・食糧品市場兼小麦の貯蔵庫として使われるようになり・・・

イギリス領となったばかりの頃(1878年)のベデスタン
後にキプロスを支配したイギリスがベデスタンを再び聖ニコラス教会(英語読みにしてみました(^^;)として復活させるべく修復を試みましたが、「モスクの近くに別の宗教施設を建ててはいけない」という時のイスラムの法律などにより叶わず、1932年に近くに新しく屋内マーケットを作り(※)、ベデスタン(=聖ニコラス大聖堂)を遺跡としました。

ベデスタンとしての機能はこちらへ移りました。
1932という数字が目立っています。
さて、イギリスから独立し、キプロス共和国を経て、北キプロスとなっている現在、この建物がどう使われているかというと・・・
特定の時間にスーフィー(メヴレヴィー教団)の旋回舞踊を披露する場として使われています![]()
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(アートミュージアムは、ベデスタンに隣接する別館にあります)
教会が繊維マーケットとなって、後に食糧貯蔵庫となって、現在はメヴレヴィー教団の旋回舞踊紹介の場・・・
あるものは、そのまま利用しよう!という感じですね![]()
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ここ、ベデスタンではちょっとした小話が・・・
長くなってしまうので、
また明日![]()
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Ciao!

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