ここは、地中海に浮かぶ島、キプロスの北キプロス・トルコ共和国(以下北キプロス)
北ニコシアです。
大きすぎて、はいらなーいっ!
苦労しましたわ![]()
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ん?なんか、意図しない響き![]()
やり直します!
大きすぎて、
カメラに収まらないのです![]()
これ、何だと思いますか?![]()

これだけでは、わからないですって?
それなら・・・
よいしょッ!

誰もが思うはず、
「これは教会です!!」と![]()
ところが・・・

近影では、これが限界です![]()
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2本のミナレットがぞびえたっています。
2本のミナレットの間にはトルコ国旗と北キプロストルコ共和国の国旗が掲げられています。とても小さく見えますね
ということは・・・・

はい、モスクです![]()
これは、セミリエ・ジャーミーという、イスラム教寺院(モスク)で、北キプロスのニコシアにあります。
近距離ではカメラに収まらないくらいですので、かなり大きいです。
その大きさは、ニコシア最大!![]()
レドラ通りの検問所を通って、南ニコシアに戻れば、こんな素晴らしい全貌
を眺めることもできたのですが、それだけのために今更戻るのは面倒なので・・・

画像をお借りしてきました
:Wikipedia
この教会のようなモスク、実は元々は大聖堂だったのです。
なーんだ、やっぱりね。
なんとなーく、ノートルダム大聖堂を彷彿させるしね(^_-)-☆
実際にノートルダムに倣って設計されたとか。
以前、かるーくキプロスの歴史をご紹介したことがあります(コチラ→ニコシア、城壁に囲まれた都市)が、この建物はフランク王国時代※ に「聖ソフィア大聖堂」として建てられました。
※1192-1489。正確には、フランスの、リュジニャン家統治による。以前このブログで、”フランス人支配による”としました。
1208年に着工し、1326年に完成しています![]()
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なぜ、そんなにも時間がかかったの?
とても気になったので、調べてみました!
なんと!
1267年と1303年に大地震にあっていました![]()
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その度に被害を受け、完成が遅れたようです。なるほど~
ちなみに、完成から165年後の1491年にも、大地震にあってしまいます・・・
さらに、そのあと1547年に・・・(゚д゚)! 大地震が多いのですね。
まあ、とにかく1326年に完成したときは、見事な大聖堂だったに違いありません。
キプロス王国の戴冠教会だったのですから![]()
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当時の内装を見てみたい!!と思いました。
※現在はすべて取っ払われ、モスクとして使われています![]()
ニコシアは城壁に囲まれた都市です![]()
その城壁を築いたのはフランク王国の次にキプロスを支配するヴェネツィア共和国で、そのときに聖ソフィア大聖堂が中心になるようにしたのだそうです

画像お借りしています:Wikipedia
これは、ヴェネツィア共和国時代の次にやってくる、オスマン帝国時代に描かれたものですが、中心に聖ソフィア大聖堂が見えますね![]()
おや?
ミナレット(教徒に礼拝を呼びかける塔)はまだなかったのですね。
※実際には、この図が描かれたのは1597年、ミナレットが増築されたのは、1571年のようです。

2本のミナレットは、
オスマン帝国時代に増築されたのです。

そして、1954年、
聖ソフィア大聖堂は、セミリエ・ジャーミーと名を改めました。

モスクに入る前に、教徒はここで身を清めます。

大っきなレモン![]()
それがどうしたって!?
”大きい”つながり、それだけです![]()
ですが・・・
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