ベトナム中部に位置する、古都フエはベトナム最後の王朝阮朝の王府として1802年から1945年までの143年にわたって栄えてた町であることは、先日からご紹介してきたとおりですが、143年の間に13人の皇帝が誕生します
143年の間に13人って多くない
ちなみに、日本の鎌倉幕府は141年9人の将軍、江戸幕府は265年、15将軍です。
そんなの、どうでもいいって・・・?
ちょっと気になったから比較してみたの。おほっ
13人の中には、在位期間が1年に満たない皇帝が2人いました
記録によると、1883年に第5代ズクドゥク帝→第6代ヒエプホア帝→第7代キエンフク帝とバトンタッチしているようです。
さらには、第7代キエンフク帝も翌年には第8代ハムギ帝へと、第8代ハムギ帝は翌年ドンカイン帝へ。
1883年から1885年のわずか2~3年の間に5人の皇帝が即位していれば、皇帝数は多いはずだわ・・・
フエ郊外には、アンバンという数千ものお墓が並ぶ村があり、お墓に対する思いを表しているようですが、歴代の皇帝たちも自らの霊廟には、相当な思い入れがあったようです。

This photo of City of Ghosts – An Bang Cemetery is courtesy of TripAdvisor
アンバン村
フエ郊外にある、いくつかの帝廟を訪れてみました。
皇帝たちのこだわり、すごいですよ~
特に、第12代皇帝カイディン帝の霊廟と言ったら・・・

ゲートからして、すごいです!
(正直なところ、当時の私は”悪趣味”と思ってしまいましたが、歴史的観点からみると、価値ある素晴らしい建物だと思います)
階段脇(手すり?)に見えるのは、龍の背です。
ちょっと、一緒にのぞいてみませんか?

カイディン帝は、在位中からこの帝廟の建築に着手し、12年という歳月をかけて完成しました。
完成したのは、亡くなってから6年後です。
カイディン帝はフランスの影響を最も強く受けた皇帝と考えられます。
彼の生い立ちから即位までを考えると頷けます。
そもそも父親が亡くなった際、まだ幼かったためズクドゥク帝(在位期間が1年未満だった第5代皇帝)の息子が後を継ぎ、さらに次に即位した皇帝が宗主国であるフランスを排除しようとしたためレユニオン島へ流刑にされ、フランスの擁立によって皇帝になったのです。
フランスの搾取に苦しむ国民から、フランスの保護によって贅沢に暮らしている皇帝とみなされ、評判が悪かったようです。
グエン・アイ・クオック(後のホーチミン)は彼を非難する戯曲を残したほどとか。
だから、中国文化とフランス様式が”仲良くしている”(ものは言いよう(^_-)-☆)ような帝廟なんですね。
かなり中国風

廟を守る役人たち
装飾がフランスっぽい

カイディン帝は「啓定」帝と書きます。
離れてみると・・・ かなりフランスっぽい

ベトナム版Wikiより:By LÊ TẤN LỘC at Vietnamese Wikipedia
ここまでくると・・・
国民の非難を買ったのが頷けます

えっ?暗くて良く見えない・・・?
確かに。フラッシュ撮影禁止だったせい?
昔のカメラは性能がイマイチで・・・?
Sachikoの腕が悪いんだけニャン!!
まあ、当時は未来にブログを書くなんて想定なかったしね。写真を残すことにもこだわってなかったの
言い訳ダニャ?
でもさ、当時は照明だってなかったんよ(たぶん)
暗かったもん。
これなら、どうでしょう
現在は、綺麗に塗り直しされているみたいです。
画像をお借りしてきました

画像お借りしています:https://www.vietvisiontravel.com
金箔を施した自身の像の下に遺体を安置させています。
子供たちが写っていますね。
この廟の大きさを感じていただけると思います。
浪費ぶりを国民に非難された皇帝ですが、ベトナムの歴史的資産となる建造物を残したことは確かなようですね。
ちなみに、ベトナムが漢字表記からアルファベット表記に改めたのは、カイディン帝の時代です
ご紹介したカイディン帝廟はフエ市内から南へ約10キロのところにあります。

北キプロスのカルパス半島に生息する野生のロバたち。
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