あれだけ、「シタデル、シタデルはどこか~」、その前は「ミロ、ミロ、ミロに行きたーい」と行きかう人全員(というのは、大げさですが)に尋ねながら、やっとたどり着いたシタデル
乗り合い小型トラックバス、タプタプに揺られ、バイク、馬と乗り継ぎ、半日かけてついに到着したシタデル
そのシタデルにいるというのに、ガイドさんの話が右から左へ流れていってしまいます
どうしたことか
「早く外に出たい!」などとばかり考えているなんて・・・
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それは・・・
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きっと・・・
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外の景色があまりにも美しいから

薄暗い城内の窓(大砲狭間)から、こんな景色が広がっているのです
ここは、ラフェリエール山の頂に建てられた山城
つまり、外は360度の大パノラマが広がっているはずなんです
ですよね
ね
私と同じように、もうそわそわしちゃっていませんか
早く外の景色を見たいよ~
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お見せしましょう
まずは、外へ出て・・・
屋上(だったと思います)へやってきました
少し前までいた、要塞の外広間のようなところを見下ろし・・・

ジャーン
思った通りの景色が広がっています



これを見たかったの~
見渡す限り広大な緑の土地が広がっています
200年前も今も、きっと変わらない景色・・・
この景色を独り占め来た甲斐がありました~!シアワセ
天気の良いときは、キューバ東沖あたりまで見渡せるそうです
それにしても・・・
200年も前にこんな景色を一望できるところに、12年の歳月をかけて、20万人を動員して(うち2万人をが事故などにより死亡)、フランスからの独立間もないハイチが要塞を築かないとならない理由は何だったのでしょうか
フランスから再侵略されることを恐れたと聞きますが、独立直後と言えば、フランスに無理難題を押しつけられ、58年にかけて、フランスやアメリカから借金をしてまで返済することになる負債を負っていた頃・・・。ハイチ独立建国までさらり・・・とおさらい
こんな余裕があることに、疑問を感じてしまうのは私だけなのでしょうか
どうやら、そうではないようです。
200年先に生きている私が聞いていても疑問だらけの築城(及び政治)には当時の人々も不満をつのらせたようです。
明日は、時の国王アンリ・クリストフの居城、サン=スーシ城(宮殿)と彼がたどった運命を覗いてみましょう。

さあ、下山です

北キプロスのカルパス半島に生息する野生のロバたち。
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