ここは、北キプロス(正式名称は北キプロス・トルコ共和国だが、国際的には非承認国)、東海岸にある港町ファマグスタから北東へ10キロほどの所に位置する、古代都市サラミス。その歴史は古代ギリシャ時代まで遡る。
これまでのお話はこちら:
2) 古代円形劇場でした!
3) ゆるゆるの入場ゲート
4) いきなり度肝を抜かれた!
5) なぜ、頭がないのか?
6) 古代のお風呂
7) 古代のトイレ事情
8) まさかの使いまわし?
9) 古代ギリシャといえば!
10)サラミス遺跡の住人
11) 古代の床暖房システム
12) 下を向いて歩けば・・・
14) ない!ない!ジャケットがない!
17) 今行けば、間に合う!
18) How stupid!
19) 旅は道連れ
22) 聖エピファニオスって誰?
今回は、ここから
知られざる古代都市サラミスの遺跡は、一部しか発掘されていないとはいえ、広範囲にわたり、直に古代ギリシャ時代からローマ帝国時代を経て東ローマ帝国(ビザンティン)時代へと繋がっていく古代史に触れられる場所だった。
人々の最初の入植は紀元前1075頃の大地震の後だった。
その被害により、近くのエンコミ村から移ってきたのだった(古代ギリシャ時代)
その後、アレクサンダー大王(ギリシャから北インドまで広がる大帝国をつくりあげた)によって支配されたペルシャ帝国に統治された。
紀元前323年から紀元前58年まではプトレマイオス朝の支配下にあり、紀元前58年よりローマ帝国に編入された。
ローマ帝国の分裂により東ローマ帝国が成立(395年)した後、東ローマ帝国時代を経て、7世紀にアラブの攻撃を受けるまでサラミスは繁栄した。
もっと簡潔にまとめると:
古代ギリシャ時代
ペルシャ帝国による支配
プトレマイオス朝(エジプト)による支配
ローマ帝国へ編入
東ローマ帝国
アラブの進撃により壊滅
ややこしい(^^;
それが、キプロスに残る歴史遺産のおもしろさでもあるのだが
今日は古代都市サラミスの「あんな道」「こんな道」を紹介したい。
円形劇場の横の道を真っ直ぐ進むと、郊外(とりあえず、区別するために、ここではそう呼びます)エリアへ出る。
古代都市のどこか(^^;
遠くに見える古代の町
サラミス遺跡への入口に近い”ハイライトエリア”から離れれば離れるほど緑が広がった。
私が勝手に『ローマへ続く道』と名付けた道(^^;
この道を進んだら、本当に古代ローマに着いちゃいそう
どんどん深まる緑
日差しはきつかったが、空気は澄んでいた。
気持ちいい~
小鳥たちのさえずりも聞こえてくる。
こういうところは、歩いているだけで楽しい。
元気になれる。
近くに住んでいたら、間違いなく定番の散歩コースになるだろう。
入場料も安いし(^_-)-☆
よかったら、9秒だけおつきあいください
Walking is man’s best medicine.
☑ medicine = 薬
我々にとって最良の薬は歩くことだ
古代ギリシャの医師ヒポクラテス/ Hippocrates(紀元前460年頃-紀元前370年頃)の名言とされている言葉だが、その出典は見つかっていない。
・・・・ということは、ヒポクラテスの言葉ではない?
日差しを遮るものがないので、ちょっと暑い
まあ、よい。
歩くことは、気持ちがよい。
こんな道々ならなおさらだ
次回へつづく・・・・
今回の旅・北キプロス「リアルタイム日記」(2月17日~3月3日)をこちらにまとめました。1日1枚とさらりと日記という構成です
1) いきなり、ガーン!!
2) またしても、ガーン!!
3) 心臓が破裂するぅ~!
5) やっぱり、トルコじゃん!
10) バターは、乳搾りから!
11) やっっぱり好き!旧市街
13) これ、絶対に偽物だよね?
14) Back in Japan!! 成田-名古屋便がプロペラ機だった
北キプロスのカルパス半島に生息する野生のロバたち。
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