ベトナムの運命を握っていた皇帝 (Destinationsベトナム・フエ)

ベトナム最後の王朝、阮王朝143年の間に3人もの皇帝が即位しましたが、その中でもっとの長く在位したのが、第4代の嗣徳(トゥドゥック)帝です。

阮王朝において、在位35年は群を抜いて長いです。

18歳で即位しました。

実はこの皇帝こそが、ベトナムの未来を大きく変えてしまったと考えられます。

詳しい歴史は私の担当外(?)ということで、何百倍速で歴史を早送りしつつ、要所だけ強引にまとめると・・・

【歴史ミニ劇場】

トゥドゥック帝がキリスト教を弾圧したことから、フランスが怒り(ここ、かなり縮めてます)

下矢印

「これは、困った!」と当時の宗主国清(中国)に助けを求め

下矢印

清仏戦争へ発展

下矢印

相当な犠牲を払いながらも、フランスが清を撃退

下矢印

以後ベトナムはフランスの植民地と化していきます

びっくり かなりの早送りだニャ

ショック いいの。歴史は、だいたいのことがわかれば

爆笑 詳しく説明できないんだニャ

えーん まあ、それもある。専門家ではないもの。許して!

トゥドゥック帝廟は、フランス贔屓だった、煌びやかなカイディン帝の廟とは異なり、静かで落ち着いた雰囲気の帝廟でした。

トゥドゥック帝廟

3年の年月をかけ、建てられたこの帝廟は、もともとトゥドゥック帝の離宮として使用されていたそうです。

だから、池があったり、人が住んでいたような雰囲気が残っているのですね上差し

ちなみにこの池は「謙湖」といいます。

トゥドゥック帝はここで変わりゆくベトナムを嘆き悲しみ、自分がそのきっかけを作ったことを恥じ、帝廟内の建物すべてに「謙」の文字を加えたとか。

「謙湖」「謙宮」「和謙殿」のように。

トゥドゥック帝廟の謙湖

「謙湖」

「和謙殿」の中には、皇帝自らが描いた絵画が飾られていました。

位牌が祀られています。

向かって左がカイディン帝、右が皇后のものでしょうか。

100人を超える側室を娶ったトゥドゥック帝ですが、幼少期に天然痘に罹っていたため、子供はいなかったそうです。

ご位牌を拝みお願い、陵墓へ向かいますランニングランニング

途中、こんな遺跡のような建物跡がありました下矢印

ベトナム戦争の爪痕と思われます・・・・ショボーン

トゥドゥック帝の功績を記した石碑を中央に配した門下矢印

トゥドゥック帝廟

この門をくぐり、ずんずん進んだところに皇帝のお墓がありました下矢印(ご遺体は、ここに眠っていないそうです)

トゥドゥック帝廟 陵墓

激動の時代の皇帝トゥドゥックの帝廟からでした~

もし、お手間でなかったら、下の黄金の布袋様下矢印をタッチして、このブログを応援してくださいお願いキラキラ

トゥドゥック帝廟を訪れた日に立ち寄った、お寺に鎮座していました。

お腹を触らせてもらったら、御利益がありそうでしょ爆  笑

お腹でなくても、きっとご利益あるので是非お願い

なんてねウインク

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